去年の12月の出来事ですが、自分としては気合入れてかいた文章なので
アップしておきます。
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〇満月の夕べ〇
時々、ふと口ずさんでいる歌の一つに『満月の夕』がある。御承知のように、この歌は十五年前の阪神淡路大震災直後、被災地の神戸で慰問ライヴ活動を開始したソウル・フラワー・モノノケ・サミットの中川敬が、神戸市長田区の南駒栄公園で行ったライヴの光景を元に、ヒートウェーヴの山口洋と一気に書き上げたものである。
自分も震災直後の二月、有志と共に被災地の西宮へ炊き出しボランティアへ行った。この歌の次の段に至ると、声が詰まってしまうのは僕だけだろうか。(以下、ヒートウェーヴ版を引用する。)
夕暮れが悲しみの街を包む
見渡すながめに言葉もなく
行くあてのない怒りだけが
胸をあつくする
声のない叫びは煙となり
風に吹かれ空へと舞い上がる
言葉にいったい何の意味がある
乾く冬の夕
震災直後の瓦礫の山を目の当たりにし、淀川を境にした大阪以東の町々、故郷浜松が何事もなかったかのように住宅やビル明かりきらめく、その落差に愕然とした思いが甦って来る。「言葉にいったい何の意味がある」とはいえ、あの時西宮へ行った経験は自分の中の転機となった。いったい自分は、宗教家として、一個の人間として何ができるのか?どうあるべきなのか?今も突き付けられ、自らに問い続けるフレーズだ。
2001年の9月11日、僕は夜の酒場のカウンターのテレビで世界貿易センタービルに二機目の旅客機が衝突する映像をリアルタイムで見た。まるで映画のワン・シーンのように見えたが、一瞬我に帰った僕は、咄嗟に「これはテロだ!」と叫んだ。この夜の浜松の光景は、何故か阪神淡路大震災当時に帰浜した際に感じた落差と余りにも似通っていた。
帰宅するタクシーの車中で、僕の頭の中では山口洋の歌声が響いていた。
絶え間なくつき動かされて
誰もが時代に走らされた
すべてを失くした人はどこへ
行けばいいのだろう
阪神淡路大震災と9.11同時多発テロ事件を経て、日本は、世界はどうなったか。こんにち、阪神淡路の震災後の復興のめざましさは目を見張るばかりだ。テロ後のアメリカも復興された町並みは周知の通り。しかし、テロ以降に分かった事実とは何か。それは世界的なキリスト教(ユダヤ)文化とイスラム教文化との宗教的対立・戦いは果てしなく続く、ということだ。昨今の東アジアに於ける軍事的・経済的緊張事態はイデオロギーの対立が根底にあるが、これとてキリスト×イスラムの対立関係と無縁とはいえない。アメリカの、親ユダヤ主義の思惑一つが東アジアの動向を左右しているのは周知の事実である。
いまだ閉塞観しか感じられない時代状況の中で、この国の現政権の脆弱さを見るにつけ、平和な世の中、平和な時代の到来は望むべくもないのだろうかと思ってしまうのは自分だけだろうか。巷の政治家達や評論家達の語る戯言に耳を傾けると、「~だと思いますけど。」という語尾で終わることが多い。一般市民も同様である。「~だと思いますけど。」、その「思いますけど」どうなのか?どうあるべしと思うのか?
しかし、しかし、である。こういう時こそ自分の無力さに気付き、自分の足元を見つめ、自分に出来ること、自分の目指すものを再確認すべきなのだ。
それでも人はまた 汗を流し
何度でも出会いと別れを繰り返し
過ぎた日々の痛みを胸に
いつか見た夢を目指すだろう
ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕
これまでの満月まつりも、今年の満月まつりも、音楽や詩の朗読など盛りだくさんのプログラム。それぞれの出演者の熱き思いが、皆様方の心の、いな命の底から平和を願う思いに醸成されんことを!
2010年12月19日 満月まつり浜松の会 代表 薬師寺良晋
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同窓会実行委員会<新年会>
14 年前
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