二、三日前の朝刊に小さな記事。見出しは「スイングジャーナル休刊へ」。
へー、っと思い記事を一読すると昨今の売り上げ落ち込み、
広告主の減少が休刊に至る経緯という。
さもありなん。自分も書店で手に取りはするが、この十数年購入したことがない。
しかしまあ、休刊ともなると買っといてあげなきゃ、ってのが人情か。
今日、六月号を買ってしまった。来月発売の七月号で休刊だそうな。
しかしページをめくって見ると、
登場するミュージシャンの顔ぶれは最新?とはいえ
自分がJAZZかぶれになった中学生当時の紙面と
余りにも雰囲気が変わらないので失笑した。
十三、四歳の中学生が生意気にもこんな雑誌を貪るように読んで
NHK FMの日曜日午後のJAZZ番組を聴いては
マイルスだ、コルトレーンだ云々とひとり悦に入っていたのだ。
SJ誌や漫画雑誌は、子供の頃に遊んだ様々な玩具とともに
ウチの寺の改築のドサクサに紛れて、廃棄処分されてしまった。
今思うと、勿体ないことをしたものだ。
まあ最近は、他のジャンルでもそうだが
いわゆるJAZZ評論に殆ど興味がないのが正直なところ。
サックス吹き始めて気が付くことだが、
プロに対して技術的なことを評論家が云々するのは
おこがましいように思う。
プロなら上手くて当たり前、
その日のコンディションの善し悪しに関わらず
目の前の聴衆を音楽の洪水の中で心地よくさせ
時に”凄い!”と言わせるのが彼らの使命であろう。
だいたい、音楽にせよ絵画にせよ、
僕は食べ物と同じと思う。
個人個人に好き嫌いが有ってあたりまえ、
アレルギーがあっても当たり前ではないか。
世間で名のある某氏が「これは素晴らしい」といって
持ち上げようが、判断するのはそれを食する個人である。
それを美味しいと判断するか、どう感じるかが感性ってものだろう。
スイングジャーナルは、もうとっくに僕の中では役割が終わっている。
僕をJAZZという得体の知れない魔物に導いてくれたジャーナルよ、
有り難う。